石見銀山

石見銀山

【島根県】石見銀山 ~世界に稀なる、自然を守り通した鉱山~
石見銀山は戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)です。当時世界の銀の3割を産出したと推定されます。
適切な森林の管理により、環境への負荷の少ない開発がなされたことや、今日に至るまで広葉樹などを含む森林が残されている点が、世界に類を見ない鉱山として特に評価されています。

間歩(まぶ)

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銀鉱石を求めて掘られた坑道は、石見銀山では間歩と呼んでいました。
「龍源寺間歩 」は御直山五力山の一つで、現在、石見銀山で唯一公開している坑道。「大久保間歩」はツアー形式の限定公開とされています。

大森の町並み

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銀の採掘鉱山に隣接して発展した大森の町並み。
数々の古社・古寺、大森代官所跡などが残されており、国の重要伝統的建造物群の指定をうけている。

大森代官所跡

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江戸幕府が現地に置いた支配拠点施設の跡で、石見銀山資料館として現在利用している建物は、明治時代に建てられた役所の建物。

ココも見ておきたい!
石見銀山世界遺産センター

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石見銀山の歴史のほか、鉱山の暮らしなどを解説する施設。模型や再現品を中心に、採掘から流通までを担っていた石見銀山の文化的価値を学ぶことができる。
30Kgの銀塊を実際に持つことができるコーナーもある。ここで予備知識をつけてから石見銀山を見に行くと、より楽しめるだろう。

立ち寄りスポット
温泉津温泉

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その地名からも湯けむりを連想する温泉津(ゆのつ)では、千年以上も前から温泉が湧き出していたと考えられている。
現在、共同浴場が2つあり、元湯と薬師湯という。伝説によると、元湯は、約1300年前に傷ついたタヌキが発見した言われる。一方の薬師湯は、1872(明治5)年の浜田地震によって湧き出したことから、震湯とも呼ばれている。

お土産にいかが?
温泉津焼

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以前は「半斗(はんど)」と呼ばれた水瓶の生産が中心だったが、現在は、花瓶、湯のみなど、様々なものを焼いていて、陶芸家たちの多彩な作品を見ることができる。

ランチにいかが?
箱寿司

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底板をはめた木枠に、酢飯、カンピョウ、しいたけ、人参、油揚げなどの具材を詰め、上から押して固めた寿司。
厚さは4~5cmと、ボリュームはかなりのもの。上の面には錦糸卵などがのり、見た目にも華やか。昔から、祝の席などで親しまれてきた一品。

 

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