古都奈良の文化財

古都奈良の文化財

【奈良県】古都奈良の文化財 ~日本文化の始まりを今に伝える~
奈良は、日本で国家が形成されようとした頃の都で、大陸から様々な物を受け入れ、多様な文化を作り上げました。
710年から784年までの都城となった平城京は、唐の都として栄えた長安をモデルに建設されました。東西4.3km、南北約4.8kmの方形をなし、中央には朱雀大路を南北に通して右京と左京に分け、さらに、南北と東西を大路と小路によって、碁盤の目のように区画しました。
そして、そこに宮城(平城京)が作られ、周囲には寺社が建てられました。

東大寺盧舎那仏像
(とうだいじるしゃなぶつぞう)
奈良の大仏

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東大寺大仏は、聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(魂入れの儀式)が行われた。
のべ260万人が工事に関わったとされ、創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出された。

平城宮跡に復元された
第一次大極殿

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朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。
直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿。

興福寺五重塔

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興福寺は奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられました。
五重塔(国宝)は天平2年(730年)、光明皇后の発願で創建された。現存の塔は応永33年(1426年)頃の再建である。
高さ50.1メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で2番目に高い。

唐招提寺
(とうしょうだいじ)

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南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真(がんじん)である。
井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧、鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。

春日大社

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約3000基の灯籠が吊るされる春日大社の回廊。境内にある灯籠は、昔から今日に至るまで、藤原氏をはじめ、広く一般国民から奉納されたものだそうです。
2月の節分と8月の中元の夜にのみ、全ての燈籠に火が灯されます。これを万燈籠と言います。

ココも見ておきたい!
奈良公園

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かつての平城京の東端あたり、若草山のたもとに広がる公園。東大寺、興福寺、春日大社など、名だたる寺社を抱える。
1000頭を超える鹿が生息していて、鹿用のせんべいが売られている。

立ち寄りスポット
奈良国立博物館

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奈良公園内にある博物館。仏像、仏画、経典、仏教工芸など、仏教にまつわる美術品や考古遺品の収蔵点数は2000程にもなる、国内屈指のコレクション。
建物自体も明治時代の代表的な欧風建築として、国の重要文化財に指定されている。

お土産にいかが?
奈良漬

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塩漬けした野菜を、酒粕に何度か漬けかえて塩分を抜き、旨味を増幅させる。その起源は、奈良時代にまでさかのぼると言われ、保存食として重宝された。
ふきんなどで酒粕をぬぐってからから食べるのが一般的。

ランチにいかが?
茶飯

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塩や醤油で味付けした、ほうじ茶や煎茶で焚いたご飯のこと。
大豆や黒豆、栗なども入っていて、腹もちがよく栄養満点。
もともとは東大寺や興福寺の僧坊で食べられていた郷土料理で、江戸時代には関東にも広まり、浅草の奈良茶飯屋が人気だったと言われる。

 

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